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座談会「ネクジェネいまむかし」(第1弾)

座談会「ネクジェネいまむかし」(第1弾)

ネクジェネには、現在活動しているメンバーだけでなく、これまで多くの若者たちが関わり、卒業後もそれぞれの場所で活躍しています。創立9周年を迎える2025年、これまでの歩みを振り返り、組織の変遷や当時の雰囲気を伝えていくことを目的に、過去のスタッフとの座談会企画「ネクジェネいまむかし」をスタートしました。
第1回のゲストは、ネクジェネの安定期(2023〜2024年)に高校生学習室の室長を務めた林萌那さん(群馬大学3年生)と中野友葉さん(高崎経済大学4年生)。コロナ禍を経て組織体制が大きく変化したこの時期、二人はどのように活動と向き合い、仲間とともに成長していったのか。その当時のリアルをお届けします。

今回の参加者

  • ゲスト:小高 広大(こだか こうだい)
    NPO法人Next Generation 理事長

  • ゲスト:林 萌那(はやし もえな)
    群馬大学 3年
    NPO法人Next Generation 副理事長(2023年度〜)
    元前橋市高校生学習室 室長(2023年度)

  • ゲスト:中野 友葉(なかの ともは)
    高崎経済大学 4年
    元NPO法人Next Generation 副理事長(2023年度)
    元前橋市高校生学習室 室長(2023年度)

  • ファシリテーター:菊川 心平(きくかわ しんぺい)
    立命館アジア太平洋大学 3年
    NPO法人Next Generation 理事

“使う側”から“スタッフ側”へ — ネクジェネとの出会い

(菊川)
まず、お二人の自己紹介と、ネクジェネとの出会いについて教えてください。
(林)
林萌那と申します。群馬大学の3年生で、2024年度に高校生学習室の室長をしていました。
私がネクジェネと出会ったきっかけは、もともと学習室を利用しており、ある時に学習支援のボランティアに参加したのですが、その時は運営している方々が学習室のスタッフだとは気づいていませんでした。ところが、後日学習室を利用した際に、「あれ、ボランティアの時にいた人だ!」と気づいて。そこから受付で話すことが増え、自然と関わりが深まっていきました。
(菊川)
利用者としての経験とボランティアが繋がっていったんですね。自然な流れで関係が広がった感じがします。
では、友葉さんはどうですか?
(中野)
中野友葉と申します。高崎経済大学の4年生で、2023年度に高校生学習室の室長をしていました。
私も萌那と同じで、もともと学習室の利用者でした。受付でスタッフの方と仲良くなってよく話すようになり、そのままの流れでスタッフになった感じです。大学も群馬県内に決めていたので、自然と関わりが続きました。
(菊川)
僕も同じ時期に利用していたので、その距離の近さはよく覚えています。

二人の印象に残っていること

菊川: 小高さん、当時のネクジェネの様子ってどうでしたか?人数とか規模とか。
小高: 友葉が入った頃(2022年4月)は、今まででいちばんスタッフの人数が多かった時期だったと思う。学習室だけでも10人くらいいたんじゃないかな。でも萌那が入った頃(2023年4月)は、卒業や就職でどんどん抜けていって、最終的には団体全体で6人くらいになっていたね。
中野: 私、最初の頃は小高さんと全然話したことがなかったです。
小高: そうだよね。当時は海成(当時の学習室長)や椎葉(当時の学習室副室長)が中心で、僕への伝達もそこに集約する形にしていたから。逆に萌那が入った頃は、少人数で「なんとか回そう」という空気だったから、その辺は大きく違うよね。
菊川: では、そんな当時を思い出しながら、お二人が一番印象に残っているイベントを教えてください。

印象に残っているイベント

林: 私は、2023年7月に実施した七夕イベントです。ネクジェネに入って最初の大きなイベントで、団体としても初めての取り組みでした。すごくプレッシャーを感じていましたね。トラブルも多かったんですが、限界にぶつかった時の自分の感情と向き合えた経験は大きくて、その後の活動にも影響しています。
中野: 私が印象に残っているのは、2023年3月に開催した文化祭イベントです。実行委員の人数も多く、事業の二番手くらいの立場を任されていて、調整がとても難しかったです。自分の準備不足も痛感しましたが、あの経験があったからこそ、その後を頑張れたと思っています。
林: 確かに!友葉さん、裏で桜ちゃん(当時、お手伝いとして参加していた高校3年生)と励まし合ってましたよね。
小高: そういえば友葉、文化祭の時、萌那の姿って覚えてる?
中野: あまり直接の関わりはなかったけど、手伝いに来てくれていたのは覚えてます。
小高: じゃあ翌年、萌那が中心になった時はどう?
林: その時もすごく忙しかったですが、中高生に司会を任せていて、「あ、もう私の出番は終わったんだな」と思ったのを覚えています。
中野: 萌那って、状況を見ながら柔軟に動けるし、自分で考えて行動できるんですよね。信頼されているからこそ、高校生との架け橋として動けていて、本当にすごいなと思います。

少数精鋭で駆け抜けた安定期

小高: みんな、2023年の夏のこと覚えてる?いま写真を見つけてきたんだけど。コロナも明けて、いろいろなところから声をかけてもらって…。
中野: ほんとに忙しかったですよね〜。
菊川: 僕もよく覚えてます。みんな、めちゃめちゃ忙しかったです。
小高: 夏休み期間は毎日のように公民館へ行って子ども向け事業をしたり、大きなイベントも続いていた。海、進路イベント、志賀高原で勉強合宿、Vプロのキックオフ…。しかもその間も学習室はずっと開けていたんだよね。
林: 毎日なにかしらしてましたよね。
菊川: 僕、学習室で14連勤してたので忘れられないです(笑)。あの忙しさの中で、スタッフのモチベーションはどう保ってたんですか?
小高: 基本的には、やりたいようにやってもらっていたよ。委託事業は仕様通りやるにしても、それ以外の企画は任せていたし、必要なものは全部準備してあげてた。休みもこまめに取れるように調整していたね。友葉も大変だったよな。勉強合宿の夜に熱を出して、志賀高原から前橋まで戻っていたし。
中野: あの時は本当にご迷惑をおかけしました(笑)。

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ネクジェネでの学びと、これから活かせること

菊川: 最後の質問です。これまでのネクジェネの経験から、これからの人生に活かせそうなことを教えてください。まずは林さんから。
林: ネクジェネに入る前は、あまり前に立つタイプではなかったんです。でも、ここでは人の上に立ったり、中心に立って引っ張る経験をたくさんさせてもらいました。「自分にもできるんだ」と実感できたのは大きな収穫で、人並みより少し上くらいにはできるんじゃないか、と再認識できました。
菊川: その実感は強いですよね。友葉さんはどうですか?
中野: 私も萌那と似ています。ネクジェネでの経験は、普通の大学生活をしていたら出会わなかった未来だったと思います。特に、人にお願いしたり、分からないことを聞くのが苦手だったんですが、イベントづくりの中で自然とできるようになって、最後には良い学びになりました。
菊川: 普通の大学生活では得られない経験ですよね。
中野: そうですね。ネクジェネでは小学生からお年寄りまで、本当に幅広い人と関わるので、ちょっと背伸びして頑張る機会が多かったと思います。これから私は営業職で、いろんな方と関わると思うんですが、ここでの経験は必ず活きると思っています。
菊川: お二人とも、今日はありがとうございました。また別の機会に、もっと深くお話を聞かせてください!

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